TABIMINTONがバドミントンで成功しなかった理由

バドミントン

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どんな人間? 生まれは北海道。十代の頃はバドミントンで日本チャンピオン。 二十代になってオーストラリアで生活後アジア、南米、北米を放浪。 三十代になり沖縄の宮古島へ移住。その後兵庫県の淡路島に移住と、国内の島生活を楽し...

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やりたかったのではなくやらされていた

全日本ジュニアで優勝し、高校生で全日本選手権出場。

見る人によっては成功と捉える人もいるかもしれませんが、実業団でプレーヤーとしてプレーもしていませんし、国際大会での実績もありません。

実業団に進まなかった理由は、そこまでしてバドミントンを続けようという意思がなかったから。

生粋の練習嫌いで、常にサボる理由を探していました。

なぜなら、僕自身はバドミントンをやりたかったのではなくやらされていた競技だったからです。

この差はとても大きな差です。

俺は嫌いや

高校生で全日本ジュニアの代表候補に選ばれ合宿で監督に言われたこと。

「俺はお前のなめたプレースタイルが嫌いや」

そう言われて大半の人なら自分の考えを直そうと何か努力するのでしょうが、そんなことを言われても特に気にすることはありませんでした。

そんなこともあり海外遠征にはいつも選出されず「まあ、いいや」くらいの考えだったと思います。

要はその程度の選手だっただけのことで、本気でバドミントンにコミットしようとしたことはなかったと思います。

今になって思うのは、指導者にとっては厄介な選手だったのではないでしょうか。

心技体は当たってると思う

高校生で身長180cm。スマッシュスピードは当時の高校生の中でも全国で1、2番だったと思います。

怪我をしやすい体質を除けば、体格には恵まれリストも柔らかく技術もあった方でした。

しかし“心”の部分で大きなマイナス面があった為、それらのメリットを活かすことなくごく平凡な全国選手で競技生活を終えました。

当事者の僕から言うとそんな選手は五万といます。

「あいつはいつかすごい選手になる」

そのポテンシャルを秘めて潰れる選手はバドミントンに限らずどのスポーツも死ぬほどいます。

怪我でだめになる選手、監督に潰されてしまう選手、環境がマッチせず消える選手、そして心がだめな選手。

でも“心”の部分は自分で気がつくことさえできれば、克服できるものです。

ある意味“心”が全て

さて、ぶっちゃけてしまえば僕は未だにフラフラと自由人を気取って生きていますし、とても誰かの指針になるような生き方はできません。

おそらく性格的なものも含めこれは変わらないことでしょう。

ただそんな僕ですらうっすら気が付いていること。

技術や体格のマイナス面は心で大きく賄えるということです。

わかりやすい例で例えるなら桃田選手が、一つの事件から心を入れ替えて競技に専念した時、まるで無双のごとく最強の選手に変貌しました。

奥原選手は体格的に恵まれている訳ではありませんが、心の部分が異常に突き抜けたレベルを誇っています。

普段の振る舞いもそうですが、その部分を可視化するとしたら彼女の場合やはり彼女の「目」が物語っているのではないでしょうか。

目は口ほどに物を言う。そんな言葉がぴったりはまるのが奥原選手ではないでしょうか。

指導する人も感じている

もしかすると、指導者の中で同じようなことを感じている人もいるのかもしれません。

僕自身、自分がふざけた人生のために、実直にバドミントンを指導する人には尊大なリスペクトを持っていますし、誰かに何かを伝えれるような人間ではないですが、心の部分を指導するって中々大変なことのような気がします。

桃田選手のように、大きなきっかけで変わることもあれば一歩間違えればそのまま崩れる可能性だってあったことでしょうし。

ある意味結果論のような気がします。

監督と選手の相性もあるでしょうし、関係性もあるでしょう。また、タイミングもあるかもしれません。

今まで変えようとしても変わらなかったことが、皮肉なもので闇カジノで遊んでいたことが今となっては飛躍する良きアクセントになったのですから。

後悔はしているか

実業団選手になれなかった訳ではありません。

いくつかオファーがあったのも事実ですが、そこへの後悔はありません。

そもそも実業団選手として入団したとしても、はっきり言って活躍はしなかったことでしょう。

先にも述べたように、その心で選手になっても数多い実業団選手の一人にすぎなかったと思いますし、早々に引退をしていたと思います。

それよりも他のことへの興味が強い僕は、バドミントンに集中した生活を送ることは困難だったはずです。

「もったいない」

そんなセリフはシャワーのごとく浴び続けました。

でもこれは全くの逆で、心に素晴らしい素質がある人が競技生活をやめる方がよっぽど勿体ないのです。

そもそもそんな人は途中で諦めようとはしませんが、大きな怪我などで諦めざるをえない人は勿体ない、と言うか神様は残酷だなと思ってしまいます。

この歳になるともう言われることはなくなりましたが、20代前半ぐらいまではことあるごとにそんなセリフを言われていた記憶があります。

僕は選手を続けなくてよかった

おそらく僕が実業団へ入り選手を続けていたら、ある種閉ざされた世界で過ごしていたかもしれません。

実業団選手という道を選ばず、紆余曲折しながらも僕は僕の人生を歩いていると思います。

バドミントンはやりたいことではなく、自分のできる一つのスキルとして所持しているからこそ、僕の人生の良きアクセントになっているのです。

どちらがいいか悪いかではなくて、僕は選手としての道を選ばなかったことは性格的に合っていたと思います。

まとめ

成功した人の記事は検索するとたくさん出てくるでしょうし、そこから学べるものもあると思います。

でも成功しなかった人の記事を読むことで、失敗しない道を選択することもできるのではないでしょうか。

僕はバドミントンでは成功しなかった選手ですし、今でも何かで成功している人生でもありません。

でも時に悩み、時に立ち止まりながらも僕は僕の人生しか歩けませんし、誰かと似たような人生を歩くつもりもありません。

もういい歳ですしね。

でもそれも含めTABIMINTONという生き方を選んでいるような気がします。