一億総人口メディア時代
今やSNSを始めとして多くの人が発信媒体を持っている時代。
テレビやネットのニュースだけでなく、誰もがニュースを発信する時代になりました。
それと同時に人々がメディアを選択できる時代になったことは言うまでもないことです。
テレビのチャンネルを回してニュースを選ぶだけでなく、ネットでは海外のニュースも見ることもできれば、著名人が独自に取材したルートの情報や、政治家までもが自らのチャンネルを持つ時代に。
それどころか、全く無名の人でも信憑生の高い情報やニュースを発信したり、専門的な知見からニュースを発信している人もいます。
そんな人たちの発信はどれほどまでに信頼していいものなのでしょうか。
大手メディア=真実ではない
元サッカー選手であった中田英寿氏が自らのホームページで自身の言葉を発するようになってからでしょうか。
メディアの記事と本人の内容が食い違うことを多くの人たちが気が付き始めました。
それ以降、様々な著名人やアスリートは自らの媒体を持って言葉を発するようになりました。
すると当たり前のように出てくる言葉がメディアとの食い違い。
言ってもいないことを記事に書かれたり、根も葉も無い事実が記事になっていることを本人たちが否定する場所を持つように。
自身もスポーツをやっていた関係で取材をされることが多々ありましたが、やはりメディアの記事というのは自分の意図と少し異なって記事になることがありました。
大手のメディアは真実をニュースとして取り扱うことが仕事ではなく、火のないところに煙を立てたり、大げさに書き立てることが仕事の中心となっているということです。
個人メディアはいかに
ここ最近、youtubeなどの動画サイトで多くなってきたチャンネルは情報系や個人で社会の時事をニュースとして取り上げるチャンネルが増えてきました。
理由としてはそれらを取り扱うチャンネルの年齢層が広告収入の単価が高く、編集などもそこまで手をかけなくても配信できることなどが背景にはあるのではないでしょうか。
特に知名度のある人となると登録者を稼ぐのにもそこまで時間はかからないでしょうし、何よりテレビにわざわざ出なくても、自分の言いたいことやスポンサーやギャラを気にせずに言いたいことが言えます。
特にホリエモンなどは、大手メディアでさえ取り繕うことができなかったカルロス・ゴーンとの対談を個人単位で達成しています。
少し前の時代では到底考えれなかったことですし、個人メディアが大手メディアを出し抜いた一つのロールモデルとなっています。
ホリエモンと始めとした、発言力のある人はこのように自らのチャンネルで、自らの取材や情報網を元に信憑性の高い発信を行なっています。
個人メディアしか見ない人々
先にも述べたように、今の時代は自らがメディアのチャンネルを選べる時代。
家にテレビがない人や新聞をとっていない人は多くいますが、そんな人たちはネットのニュースから情報を得ていることでしょう。
多くのネットニュースというものは、じっくりと読まれることなく流し読み程度にしかされていないのが実情です。
その中には特定の著名人かyoutuberなどからしか情報をインプットしている人も多くいることでしょう。
有料でnoteを使って発信している落合陽一氏などは、多くの人が彼の発言に重きを置き、これからの未来生活に参考にしている人も多いのではないでしょうか。
時事的なことも深く発信しつつ、自らの視点で世界を見て発信するその言葉は大手メディアにはできないスキルでもあります。
海外メディアしか見ない人
日本のメディアの情報にうんざりして、海外のニュースしか取り入れない人も少なからず存在すると思います。
多くの日本人は日本は他の諸外国に比べて真実に近い報道が多いと勘違いしている人もいるようですが、残念ながらそんな事実はどこにもありません。
むしろ諸外国から「もっとちゃんと真実を報道するように」と勧告を受けているのが実態です。
それほどまでに政治的な圧力が絡んでいるということです。
特に海外で生活などをするようになると、日本という国を外側から見ることができ、そのようなことが理解できるようになるかもしれません。
今では外国のニュースはネットからどこでも手に入れることができますし、外国から見た日本のニュースというのは余計な私見が入っていない分、偏った見方も入っていないということもあります。
日本の報道機関はやはりそれぞれの機関の特色が強く、それぞれの政治色が見えるため必ずしも平等の報道ができているとは限りません。
もちろん海外の報道機関も100%平等であるとは限りませんが。
まとめ
テレビの広告費をネットが上回ったのが2020年に入ってから。
それだけ、多くの人々がネットに重きを置くような時代になったということです。
スマホの普及もあり、手軽に情報を得られる時代になったということもありますが、その裏には各々が情報を選べる時代になった事実もあることでしょう。
どの情報媒体が正しくて、どれが正しくないということもありません。
しかし個人個人が情報を発信できる時代にどの情報を自らのものとするかは、自らの判断になってきているということでしょうか。