全ての始まりは許すことで終わりもまた許すこと
多くの日本人が今までの文化的背景や、長年植えつけられてきた教育の概念から“自分自身を許す”ということができずに悩みを悩みとして抱え苦しんでいます。
許すという行為は何も対象を他人に限らせたことではありません。大切なことは、他人よりもまずは自分を許すということから始めるのが第一歩。
そしてその第一歩は終わりを意味します。
自分を許すとは?
一言に許すと言っても漠然としすぎて理解ができない人もいるかもしれません。
この許しを知ることにより大きく自分が変容できるということになります。
- ネガティブに考える自分を許す
- 上手くいかなかったことも許す
- やりたいことをやって良いと自分に許しを与える
- 周りと比べてしまう自分がいることも許す
- 他人から笑われている自分がいても許す
- 過去にとらわれている自分がいたとしても許す
- 将来に不安ばかり考える自分を許す
- 人のせいにばかりする自分を許す
許すことと許しを与えるということ
上記に書いている中で、気が付いてもらいたいのは「自分を許す」ということと「自分に許しを与える」ということです。
自分に許しを与えることで、今まで動き出せなかった自分が動き出せることもあるでしょう。
要は今まで自分に許しを与えていなかったことにより、自分自身に勝手に制限をかけていたのです。
あなたに制限をかけていたのは他人ではありません。許しを与えていなかったあなたの「許可」です。
自分を許すと他人を許せる
これができると次は他人を許すということができるようになります。
他人を許すということができるようになると、ここで多くの悩みやストレスは大幅に無くなります。
なぜなら自分自身を許しているのだから、他人に対して悪意を抱くことがなくなるからです。
期待をしないということ
例えばあなたが友人やパートナーに何かを問いかけた時に、自分が期待していなかった答えや行動をされたとします。
その時にあなたに芽生える感情は「期待していたもの(答え)と違った」というネガティブな感情です。
ではあなたはなぜ勝手に期待を抱くのでしょうか?
期待とはある種、あなた自身のエゴ(傲慢)でもあるのです。
あなたが勝手に期待しただけ
他人や全ての出来事は本来僕たちに関係がありません。
それなのに、僕たちは「勝手に期待をする」ということを無意識に選択しています。
自分の期待通りにいかない、自分の期待していた答えと違う答えであった時に人はイラついてみたり怒ってみたりという感情を抱きます。
これは自分の子供であっても、パートナーであっても親であっても全て一緒のことです。
期待と希望は違う
しかし間違えてはいけないのは期待と希望は違うということです。
期待は「エゴ」ですが、希望は自らが望むものです。
ですが自らが望むものが手に入らなかったとしても、そこに期待を寄せていなければ自分自身がネガティブに捉えることはありません。
希望は希望として自分の中に抱くことも大切です。
執着をしないということ
多くの人は知らず知らずのうちに様々なものや事柄に“執着”をして生きています。
その執着とは自分で気が付いていないものがほとんどです。
- お金や物への執着
- 失敗したくないという恐れへの執着
- 他人や場所への執着
- 過去への執着
- 不安への執着
まだまだここには書ききれないほど多くの人は何かに執着心を抱き、それらを手放すということが「難しい」という“思い込み”をしています。
手放すということ
自分の人生の中で何に執着しているのかが自分で理解できるならそれらを一つずつ手放すイメージを持つと良いでしょう。
そしてそれらができるようになると自分の中にある「恐れ」を手放すことへと繋がります。
多くの人が自分の中に“根拠のない恐れ”を大切に抱えています。
お金がなくなった時の不安、見えない将来への不安、仕事を失った時の不安、人に嫌われたくないという不安。
皆、自分勝手に様々な「恐れ」と「不安」を大切に抱えています。
心配、恐れ、不安に根拠はない
これらのことをあなたが抱いていたとしてその根拠は何ですか?
そう聞かれて答えられる人はそう多くはないでしょう。そうです、これらのことに根拠は何一つないのです。
しかし本当はこれらのことを持ち続けることによって実は安心感を得ようとしているのです。
不安、心配、恐れを取り除くために様々なことを行い、それらを解決しようという行動が自身に安心感を与え、そしてそれらが解決するとまた新たな心配や、不安を抱えたくなるのです。
ですが、これらから生まれるものは実は何もないということに気が付いてください。
感情は湧くものではなく選択している
感情は湧くものではありません。
これは多くの人が気が付いていないことでもあります。
全ての感情は知らず知らずのうちに一瞬の判断で自分が選択しているということが理解できれば、ネガティブな感情も選択せずに手放すことができるようになります。
ある女の子の選択
例えばある女の子のおばあちゃんが亡くなったとしましょう。
さてこの女の子が感情を抱くとしたらどのような感情を抱くと思いますか?
彼女は「おばあちゃんが亡くなって悲しい」という選択と「おばあちゃんは悲しむ私を見たくないはずだ。だから笑っていよう」という選択ができるのです。
お判りになるでしょうか?悲しむという感情も笑顔で爽やかにいるという感情もどちらも選択できるのです。
スポーツ選手の選択
野球でデッドボールを受けた選手がいたとします。
さてこの選手が抱く感情は?
この選手は「怒ってピッチャーを怒鳴りつける」という選択と「ここはチームのために冷静になろう」という選択をすることができます。
これらから分かるように実は全ての感情は選択できるということ、そして私たちは感情は全て選択をしていたということに気がつきましょう。
感情の選択はあまりの速さで、自らが選択しているという事実にすら気がつきません。なので僕たちは「感情は湧くもの」として捉えているのです。
感情の選択が分かると?
自分で全ての感情は選択をしているという事実に気がつくと、今までの感情に左右されることなく自分自身の感情のあり方をコントロールできるようになります。
しかし、先ほども書いたようにたとえネガティブな感情を選択したとしても大切なことは「それすらも許す」という自分への許可です。
小さな子供がいる母親だと子供に対して「怒る」という感情の選択をしてイラつくこともあるでしょう。
そう簡単に感情の選択がわかってもコントロールすることは難しいかもしれませんが、そんな自分がいても「許す」ということは難しいことではないと思います。
全ての物事に意味はない
物事に意味はなくその物事に“意味づけをしている自分がいるだけ”ということに気がつきましょう。
どんな出来事も全ての人がそのことに対して同じ意味をつけていることはまずありません。
これはどんな出来事も全てそうです。
台風が来て喜ぶ人
台風が来た時にあるひとは「イベントが開催できなくて最悪だ」と意味づけをします。
しかしある人は「台風が来たおかげで海の底の水が綺麗になりサンゴ礁にとっては良いことだ」と意味づけをします。
またある人は「台風が来てサトウキビが一定方向に倒れるため収穫が楽になる」と待ち望んでいる人もいます。
これらは自身の沖縄に住んでいた経験から学んだことでもあります。
台風という出来事ですら全ての人が「最悪だ」と捉えているわけではないのです。
あの怪我があったからこそ
スポーツ選手がある時に大きな怪我に見舞われたとします。
その時にその選手は絶望と共に「最悪だ」と意味づけをするかもしれません。
しかし、数年後その選手が大きな大会で成果を出した時に「あの怪我があったから優勝できた」と当時の意味づけと全く真逆の意味づけをします。
そうですこの選手が“その時つけた意味づけ”は、全く意味を持たなかったことに対して「最悪だ」と勝手な意味づけを行いそして数年後に「あの怪我があったから」とまた新たな勝手な意味づけをしているのです。
意味をつけているあなたがいるだけ
これらからも分かるように、全ての物事は勝手に皆それぞれの意味づけや解釈をしているだけなのです。
人によっては「良いこと」でも、人によっては「最悪」そして「どちらでも良い」と皆が皆同じ意味づけをしているわけではないのです。
あなたが勝手に意味をつけてそれらを判断しているだけなのです。
全ての物事に意味はなく、あなたが勝手に意味をつけているだけなのです。
豊かさについて
“豊かさ”についての定義づけは各々捉え方が違うかもしれません。
- お金をたくさん得ること
- 家族と一緒にいれること
- 自然と一体になれること
- 好きな物を手に入れること
しかし、僕自身の豊かさについての定義は次の通りです。
やりたい時にやりたいことをやれる能力
お金をたくさん得ることは何一つ悪いことではありません。
しかし満足のいく資金があったとしてもやりたいことをやれないのであれば、お金はただの紙幣としてしか存在しません。
どれだけ好きなものを手に入れたとしても、自らやりたいと思うことができないのであれば物への執着でその欲求を満たしているだけにすぎません。
それよりも自分自身が生きていく中で“やりたい”と思えることをやりたい時にやれることが人間にとっての豊かさだと思います。
そしてその“やりたい”と思うことに対しての能力を身につけていくことが真の豊かさではないでしょうか。
観念と思考の癖につて
人は全て観念→思考→行動の順に動いています。
あなたが今悩みを抱えて苦しんでみたり、モヤモヤとしたものを抱えて生きているのは最初にある「観念」が変わらないからです。
しかし、嬉しいことに人の観念は変えることが可能なことなのです。
子供には不純な観念が無いために僕たち大人のように無駄に悩んでみたり、モヤモヤしたものを抱えて生きることはありません。
自らの観念は何を見ているのか、自らの観念は何を信じているのか、その根っこの部分を変えていくと全ての出来事をポジティブに捉えることもできるのです。
思考の癖について
僕たちの普段の行動にもあるように、思考にも癖があります。
心配や不安を考える癖だったり、何事もネガティブに捉えたり、常にモヤモヤした頭の中だったりというのは、思考の癖がそれを繰り返しているだけなのです。
しかし、癖は気がつかないからこそ癖であって、「今のネガティブな考えは癖が邪魔をしているだけ」と気がつくようにすると、それはすでに癖ではなくなるのです。
これを日々繰り返していくことにより自分の頭の思考の癖は徐々に変化を遂げていきます。
是非とも試してください。
最後に
これらのことについては全て僕が自分らしく自分の人生を楽しむために自分に与えている「許可」であったり「考え方」であったり「捉え方」です。
全ての人に必要なことではないかもしれませんし、全ての人に当てはまることでもないでしょう。
またこれらを読んであなた自身がどう捉えていくかも、あなた自身の捉え方で良いと思っています。
ただ、これらを読んで試してみる価値のものもあるかもしれませんので、あなたが何か自分の人生に不満や不安、心配やネガティブなものがあるとしたらこれらが参考になれば幸いです。