選手がとうとう不満を言い出す
まあ不満というと語弊があるかもしれませんが、ネパールの代表監督を通して「できれば週に1回試合形式の練習をして欲しい」という要望がありました。
さて僕はここで代表監督に問います。
「ネパール代表の今の一番の大きな目標はなんですか?」と。
代表監督は「2019年にネパールで開催される南アジア大会で好成績を残すことです」と言います。
「それではその大会に向けて今やらなければいけないのは試合練習ですか?それともしっかりとしたトレーニングですか?もしエンジョイバドミントンを楽しみたいならどうぞやってください。でも代表として成績を上げたいなら考え方を変えてください」
「確かに選手にはきつくてつまらないメニューです。でも僕の仕事はレベルを上げることです。監督も目標をブレさずに練習を組んでください」
選手からそのような要望が出た時点で監督が目標を失っているもしくは、はっきりとできていないというのが大きな問題でしょう。
目的の置き方
スポーツに限らず他の分野でもそうかもしれません。
目的が明確になっていないとどれだけ指導者が何かを言っても伝えている側にはその不明確さは伝わってしまいます。
残念なことに代表チームとしてのプライドを一番持っているのは僕自身かもしれません。
本来であればネパールの監督や選手自身でなければいけないことなんですが、国の様々な事情から彼らに目的を明確に見せることができないというのが国やバドミントン協会の不安定さでもあるでしょう。
選手やコーチよりも変えたいもの
たった数日のコーチングしかしていませんが、個人的には組織全体の改革に手をつけたいという気持ちが出て来ています。
バドミントン協会自体が選手やコーチに明確な目標を見せることができないと、彼らもそこに向かうことができないのです。
言い訳をすれば簡単にできる環境ですし、言い訳できる条件は整っています。
でも残念ながら彼らに言い訳は聞きません。言い訳を僕にしたところで全ては自分たちに返ってくるだけなのです。残念ながら僕にはなんの影響もないのです。
言い方はきついですが、僕がその言い訳を共感したところでどちらにおいても何のメリットも生まれないのです。
選手一人一人に問う
練習の途中で選手全員を集めて代表監督がいる前で選手一人一人に目標を確認します。
「君が今掲げている目標は何?」
「ネパールで一番の選手になりたい」
「海外の大会で勝てるようになりたい」と皆同じようなことを言います。
「本当にそうなりたいのであれば毎日強くイメージしてこちらのメニューに取り組んでください。そうでなければエンジョイバドミントンを勝手にやってください。僕はそれを助けるために今ここに来ているのです」
これらはあえて選手に言ったのではなく、代表の監督に理解させるために僕としては確認をしたつもりです。
さて、これらが監督の心にどう伝わったかといったところですね。
僕が変えれるもの
テクニック的なことは教えれば少しは変わるでしょう。
しかしそれらは今なら動画サイトを見て勉強することができます。他のトレーニングも同じ原理です。
僕が彼らに対して変えなければいけないのはマインド(意識)の持ち方だと自覚しています。
マインドを変えるというのは一人で行うことは相当難しいことだと思います。
これは選手に限らず、僕自身にも同じことが言えるでしょう。
考え方や行動を変えるということは一人では難しいものです。
そのきっかけを与えるために本気で選手たちと向き合っていかなければいけないのです。
代表を指導するということの意味合い
正直なことを言うと指導に当たる前はまだ少し甘く考えていた部分がありました。
しかしいざ代表クラスを指導するため毎日コートに入ると、自分自身への甘えが消えていくことに気がつきます。
レベルでいうと確かに日本のように高くはありませんが、プライドは同じ形で抱くことができるのです。
もっと彼らにプライドと自覚を持たせるにはどうしたらできるものか。
僕がいなくなった後にも継続的なモチベーションを持たせるにはどうすれば残せるものか。
のらりくらり生きてフリーダムなスローライフ生活をしている僕がそんなことを毎日考えているのです。
どんな国であろうが代表チームを指導するというのはやりがいのあることです。
おかげさまで、練習が終わった後も頭の中はバドミントンの指導のことでいっぱいですがね。
僕がここで得ているもの
正直なことを言うと僕が彼らに与えているものよりも得ているものの方が大きいでしょう。
バドミントンを教えるスキルとかそういったことに関してはそこまでフォーカスはしていません。
もちろんそういったスキルが得れるに越したことはないのでしょうが、今後海外でまた指導することはあったとしても日本で腰をすえてバドミントンを指導するということは考えていないからです。
なぜなら日本には僕よりも経験やスキルのあるコーチが山ほどいますので、僕が行う必要がそこにはないと思っています。
外国語で何かを教えるという経験
基本的な会話は全て英語でやりとりしていますが、ちょっとずつ指導の中にネパール語を交えて会話をする機会も増えて来ました。
英語のバリエーションが増えるということもそうですが、お互いネイティブでない場合どのような言い回しで相手に何かを伝えるかというのは自身にとっても良い経験の一つです。
人に何かを伝える難しさやもどかしさは、外国語ならなおさらいかに簡単ではないかということに気がつかせてくれますね。
見えない目標を見せる難しさ
いくら「目標を高くもて」とか「目的を常にイメージしながら練習をやれ」と言っても、見えないものを見せるというのはかなりの難関なのだと気がつきます。
これが日本であればどうでしょう?
直近の大会、次にある全国大会、リーグ選手になる目標、世界大会、オリンピック、私たち日本人には様々なものを通してこれらを明確にイメージすることができます。
しかしここではそれらができないのが現状。
そういった中で僕が彼らにどのようにアプローチして目標を見せていくか、難しいからこそ面白い挑戦です。
まとめ
今日このブログに書いていることがほぼ毎日僕の頭の中を埋めつくしている今の思考です。
TABIMINTONと新たなジャンルの構築に手がけたものの、一つの国のコーチングをするとなるとプライドと自覚が芽生えるものですね。
でもどれをとったとしても、どれにフォーカスが強すぎたとしてもTABIMINTONはTABIMINTON
旅をしてもバドミントンをしてもそれらを面白く伝えてもどれをとっても成立するのがこのブログなんです。
この記事を読んで指導の参考になる人がいたり、外国で指導する一人の男の葛藤を共有してみたり、バドミントンに限らず自分の仕事に取り入れるものがあったりすると幸いです。